創作着想辞典
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マーサズ・ヴィニヤード手話

アメリカ合衆国マサチューセッツ州に属するマーサズ・ヴィニヤード島で用いられていた独自の手話.英名の「Martha's Vineyard Sign Language」の頭文字をとってMVSLと呼ばれる.
 マーサズ・ヴィニヤード島では潜性の先天的聴覚障害が非常に高い割合で見られ,その頻度や聾者に起因する数数の要因から島内のコミュニティにおける聾者との関わりが極めて密であったと考えられている.その為,島内においては手話が聾者同士,或いは聾者と聴者とのコミュニケーションツールという枠組みを超えて広まっていた.聴者間で手話を用いた会話が行われることもごく一般的であったという.
 遺伝性の聴覚障害は,17世紀初頭にイギリスから英領アメリカであったマサチューセッツ湾植民地へ移住してきたピューリタンの中に既に存在していただろうと推測されている.その後,同島に入植した複数の聴覚障害者はそのコミュニケーションの特性から聴覚障害者同士での結婚が多かったであろうと推測され,島外との交流が薄かったことが近親交配の頻度を高める要因になったと考えられている.このことからMVSLの起源はイギリスで用いられていた古ケント手話が由来と考えられ,他種の手話の導入を行いつつ18世紀以降からMVSLとして独立した体系を獲得していったと推測されている.
 当時のアメリカでは聾者は聾者同士での結婚が多かったが,閉鎖的なコミュニティであった同島においては聾者の結婚相手は最大で65%が聴者であったという.潜性遺伝であるため聴者の両親から聾者の子供が産まれることも珍しく無く,この様な背景から必然的に聴者の殆ども手話によるコミュニケーションを習得していた.
 19世紀初頭からアメリカ本土で聾者教育に力を入れられる様になると同島の聾者も多数本土の聾学校に通う様になり,そこでMVSLの存在が広く認知された.当初はフランス手話での教育が主であり全国から集まった聾者にはあまり体系的な手話が見られなかったが,同島出身の聾者はフランス手話を学び用いながらもMVSLを使い続け,これが融合したものが今日伝わるアメリカ手話(ASL)へ繋がった.
 先述の本土でのASL成立に伴い,島へ帰ってきた人人の手話はMVSLよりASLを基本とするものへ推移.同時に島外との交流も盛んになったことでコミュニティが広がり,潜性遺伝の聴覚障害者の集団内における頻度は低下していった.最後のMVSLネイティヴであったとされるケイティ・ウェスト Katie West が1952年に亡くなるとMVSLで会話する聾者は存在しなくなり,MVSLによるコミュニケーションが可能な人物も1980年代の調査を最後に殆ど消滅した.現在,文化保存としてMVSLの存続が試みられているが,母語話者は存在しない.

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